Wii

今、めいちゃんがすごく欲しいもの、それは任天堂Wiiです。
小学校にあがり、任天堂DSに続いてWiiが欲しいというのは自然な事で、子供を責めることはできません。
DSほどのスピードではないものの、徐々に周囲にWii保有者が増えてくるに従って渇望感は増すばかり。とうとう親友のEちゃんが誕生日に買ってもらって、めいちゃんの不満は一気に増しました。
こういう構図もいつの時代も同じ。親にとっては極めて困難な試練となります。


実際、Wiiはよくできています。感知したWiiリモコンの動きをゲームに活かすという発想はこれまでのテレビゲームのユーザインタフェイスと全く異なるもので、一種のバーチャルリアリティを実現しています。DSのタッチペンや音声認識もスゴイと思いましたが、Wiiはさらに画期的だと思います。
また、一人ではなく複数で遊べるように工夫されているので、お友だちの家に集まった時などは大いに盛り上がります。それはそれでいいと思うのです。
が、うちで買うか、というと、やはり買ってあげる気になれません。


めいちゃんは、幼い頃から周囲には当たり前のように情報機器が溢れています。ママはパソコンがないと仕事にならないような状態で、家でも仕事の時はもちろん、手があけばパソコンの前に座っています。
余談ですが、ママは小さい時、ママのパパの仕事は新聞を切って紙に貼る(要はスクラップをする)のが仕事だと思っていました。いつも休みの日には新聞を読みながら重要な記事があるとそれをキレイに切り抜いて黄色のリーガルパッドに糊で貼り付けていたからです。
きっとめいちゃんもパソコンで資料を作ることがママの仕事だと思っていたことでしょう。ま、当らずとも遠からずですが。。。


話は戻って、で、めいちゃんはそんな環境で育っていますから、自然と情報機器に興味を覚え、4歳くらいには携帯電話でメールも打てましたし、同じ頃にパソコンでインターネットも使い始めています。そうしたことがすっかり生活にしみこんでいますから、いつの間にか、宿題やその日の勉強が終わった後の楽しみは、インターネットのゲームかDSというようになりました。
もちろん、めいちゃんはレゴブロックで遊んだり、それも組み立てた後にお人形ごっこをしたり、工作をしたりするのも大好き。
でも、一番の楽しみというとやっぱりコンピュータのゲームということになってしまいます。逆に、テレビはあまり見ないほうかもしれません。


心配なのは目(視力)ということもありますが、極めて受動的であるという点。レゴブロックやお人形を使ってのごっこ遊びに比べて、圧倒的に工夫や想像力が働く余地が少ないことです。
そういう意味では、めいちゃんが学童でマンガばかり読んでいるのも心配の種の1つ。マンガを全て否定するつもりもないし、実際に良質なものもあると思うのですが、やはり文字による書物に比べると想像力が働く余地が少ないというのが気になるという点ではゲームと同じです。
それと関係があるのかないのか分からないのですが、めいちゃんは物事の感想を表現するのが不得意。ありきたりの事を言いたくないという妙なプライドがあって、なかなか言うことが見つからないということもあるようなのですが、やはり情報量の多いものばかりに触れていて、自分で考える習慣が十分についていないのではないかと思うのです。


めいちゃんがあまりにWiiを欲しがり、文句を言うので、昨夜、話をしました。
文字の本を読むときは、この主人公はどういう姿か、どういう景色が広がっているのか、どういう動きをするのだろうか、この時主人公はどういう気持ちなんだろうか、この次どうするんだろうか、と色々想像するでしょう?それがマンガ(静止画)になり、アニメ(動画)になり、ゲーム(インタラクティブ)になっていくと、どんどんめいちゃん自身が考えたり想像したりする部分が減って、頭を使わなくなるんだよと。そういうものは楽だし、刺激が多いからワクワクして楽しいし、ついやりたくなっちゃうけど、それだけじゃダメだと思ってる、と。
めいちゃんは、Wiiを買ってくれない“イジワルママ”を睨みつけながら(^^;話を聞いていましたが、少しは分かってくれたようでした。
まずは、もっとたくさん本を読もう。例えば、学童ではマンガではなくできるだけ本を読もうね、ということになりました。そして、感想文とか日記とかがもっとスムーズに書けるようになってからWiiを買うかどうか考えようね、と。


そして、今日。ママと本屋さんに行って、2冊ほど読みたい本を買ってきました。
その後、約束の時間にEちゃん家へ。夕方までWiiで遊ぶ約束です。
さて、帰宅後、めいちゃんは何て言うでしょうか?やっぱりEちゃんを羨ましがり、Wiiが欲しいと駄々をこねるのか、それともWiiは友だちの家にあって時々やらせてもらえればいいと納得して帰ってくるのか。